
マイケル・シャーマーと疑似科学
人間は基本的には、疑似科学的信仰に陥るように出来ているとする、マイケル・シャーマーの議論を紹介し、議論する。
マイケル・シャーマー
マイケル・シャーマー(Michael B. Shermer, 1954-)はアメリカでスケプティックス・ソサエティーを立ち上げ、現在は雑誌スケプティックの編集長をしている。アメリカのスケプティックス・ソサエティーは会員が55,000人以上あると言うから、日本のそれとは大きな違いだ。シャーマーはまた雑誌サイエンティフィック・アメリカンでコラムを連載している。シャーマーは大学で心理学を専攻し、1992年にスケプティックスを創始する前はオクシデンタル大学で科学史の教授も務めているた。
私はうかつなことに、シャーマーを知らなかったのだが、数年前に彼の著書を翻訳すべきかどうか、本を読んで内容を教えてほしいと、ある出版社から言われて、大部な英語の本を送ってこられた。その本は「信じたい脳、幽霊、神から政治、陰謀論まで-我々はどのようにして信念を作り上げ、強化し、それを真実と考えるのか The Believing Brain, From Ghosts and Gods to Politics and Conspiracies-How We Construct Beliefs and Reinforce Them a Truths」である。私はその本を読んでみてとても面白いと思ったのだが、その出版社は結局は翻訳しないことに決めた。というような経緯で私はマイケル・シャーマーを知るようになったのである。
TED
以下のシャーマーについての私の文を読んで、シャーマーの議論に興味を持たれたら、ぜひTEDのビデオを見ることを勧める。TEDとは「広げる価値のあるアイデアIdeas worth spreading」を各界の名士に語ってもらう番組である。20分程度以下の、短い要領よくまとまった話で、TEDの講演はプレゼン技術の参考としてもとても役に立つ。TEDのすごいところは、ボランティアの力で、いろんな言葉に翻訳されていて字幕がついていることだ。日本語もあるので、英語が苦手の人にも問題はない。さらに全文がアップされている場合がある。だから英語の勉強にも、非常に役に立つ。私は学生諸君に次のような方法を勧めている。まず日本語で全文を読み概要をつかむ。次に日本語の字幕で見る。さらに英語の字幕で見て、最後に字幕なしで見る。
シャーマーはTEDで2回講演しているが、最近の「自己欺瞞の背後にあるパターン」を紹介する。このビデオの最後の部分は抱腹絶倒である。人間がいかに信じやすいか、だまされやすいかよくわかる。
http://www.ted.com/talks/michael_shermer_the_pattern_behind_self_deception.html
タイプ1の間違いとタイプ2の間違い
シャーマーは次のようなたとえ話から始める。 300万年前のアフリカのサバンナである。 原始人がサバンナを歩いていた。薮があってガサガサという音がした。風かもしれないし猛獣かもしれない。そこである人はそれが猛獣だと思って慌てて逃げた。ところが実際は風であった。つまり間違いである。この種の間違いをシャーマーはタイプ1の間違いと呼ぶ。一方、別の人はそれが風だと思って逃げなかった。ところが実際は猛獣であったのでその人は喰われてしまった。この種の間違いをシャーマーはタイプ2の間違いと呼ぶ。タイプ1の人は怖がりすぎ、タイプ2の人は怖がらなさ過ぎの人である。タイプ2の間違いを犯す人は、進化の過程で淘汰されていなくなる。だから生き残っているのはタイプ1の間違いを犯す人たちだけである。つまり人間は基本的に怖がり過ぎるようにできているのだ。
パターン性
シャーマーはさらにパターン性と彼が呼ぶ概念を紹介する。人間が不完全な情報を得たときに、その背後に隠れているパターンを想像で補う。人間はこのような能力を進化の過程で得て、脳に組み込まれていると言う。この考えはシャーマーの説ではなく、心理学で分かっていることだ。 問題は往々にしてその想像が間違いである場合が多い。これが錯視、錯覚の原因である シャーマーはそれを多くの例で示す。
日本の例で言えば「幽霊の正体見たり枯れ尾花」がそれであろう。暗い野中の夜道で、枯れたススキを見て、それを幽霊と間違えるということである。人間はわずかな情報から、その背後にある膨大な情報を推測する性質があり、しかもその背後に人格性を付与するというのである。幽霊は人格である。
人間はこのようにして、信じやすい、だまされやすい存在であるとシャーマーはいう。神、天使、魂、幽霊、UFOに乗った宇宙人、これらはすべて人間の妄想の所産であるというのである。また人間は批判的、合理的、理性的、科学的な考え方は不得意であり、科学は非人間的な営みであるとまで言う。
要するに疑似科学的、非科学的な考え方は、人間に本来備わったもので、それを改めるには、批判的、科学的な思考が求められるのだが、それは非常に困難なのだ。
最後に
ここでは主としてシャーマーの議論を紹介した。戦前に活躍した著名な物理学者寺田寅彦はあるエッセイで「ものをこわがらなすぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなか難しいことだと思われた」と書いている。
この問題は人間の理性と感性、科学的思考と疑似科学的思考などと関連して、非常に深いテーマである。今後、さらに議論を深めて行きたい。